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JAFの趣味なページ

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F-117 ナイトホーク


F-117ナイトホーク

F-117 Nighthawk

21世紀となった今では軍事を知らない人でも一応知っているほど有名になった「ステルス」を世界で初めて実用化した機体です。
その形状は写真をみれば分かるように、他の飛行機とは全く違う無骨で直線的なデザインです。そしてこれこそF-117がステルスたる最大の要因なのです。

まず最初に「ステルス」とは何なのか、簡単に説明しましょう。
「ステルス(Stealth)」とは本来レーダーに映らないようにする技術のことですが、日本で「ステルス」と言えば「レーダーに映らないこと」そのものをさす言葉と言っても良いでしょう。わたしもここではその意味で使っていきます。
まずステルスについて知る前にレーダーの仕組みについて知っておく必要があります。レーダーはごくごく簡単に言うと、電波を放射してその電波が物に当たって反射し帰って来るまでの時間から距離を計算するものです。電波は光速である30万km/hで空気中を進みますのでごく僅かな時間で探知可能です。

ではステルスはどのような方法で得られるのか、幾つか方法はあります。ステルス塗料、つまりレーダー波を吸収して反射しないようにした特殊な塗料を塗ること、次に複合素材と呼ばれるレーダー波を吸収しやすいようにした新素材で機体を作ること等ですが、これはあくまで二次的なもので「無いより増し」程度です。

ステルスにおいて最も大切なのは何か、それは機体そのものの形状です。
レーダー波は物に当たると反射しますが、光と同じようにこの際入射角と反射角が等しくなります。その一回反射した電波が、その反射した面に対して垂直な面にぶつかるとこれも反射し、ちょうどUターンする形になります。こうするとレーダーの受信機に電波が戻って探知されてしまうわけです。この反射してしまう面積をRCS(Radar Cross Section レーダー反射面積)といいます。
F-117はあらゆる方向から電波をあてられても大丈夫なように、直線的な面を綿密な計算から導き出された角度に従って組み合わせ、このRCSを大幅に減少させています。つまり当って反射した電波を明後日の方向に飛ばしてしまうのです。またF-117にはもちろんステルス塗装RAMも施されています。
なので厳密に言うとレーダーに「映らない」ではなくて「映りにくい」、これがステルスです。


そもそもレーダーに映らなければごく簡単に敵地に侵入し攻撃を行えることは前々から分かっていました。太平洋戦争の連合軍のようにコーストウォッチャーをあちこちに配置して監視させているわけでもなく、専らレーダーに頼った時代になったわけですから当然といえば当然です。
レーダーに映らないためには低空を飛ぶという方法があります。電波は地球の丸みに沿って飛んでくれないので、その丸みに隠れてしまえば気付かれずに近づけるのです。しかしそれほどの低空飛行を持続させるのはベテランパイロットでないと難しく、さらに空気密度の高い低空では速度が伸びず燃費が著しく悪くなります。
そこでアメリカ国防総省はこう考えました。「何とか低空を飛ばなくてもレーダーに発見されない飛行機ができないものか」
F-117はそういった考えから開発がスタートしました。

1974年、アメリカ国防総省はボーイング・グラマン・ノースロップ・ロックウェル・ジェネラルダイナミックスの5社に、レーダーによる発見が極めて困難かつ夜間や雨天時も飛行可能な「全天候型ステルス攻撃機」の開発を指示しました。この後政治的駆け引きによってロッキードが新たに開発に参入し、それぞれが開発を行ったものの4社は途中で脱退しノースロップとロッキードだけが機体の設計案を提出しました。
最終的な審査はそれぞれが製作した模型にレーダーと同じ電波をあて、そして反射してくる電波の量の小さい方を採用することになりましたが、この勝負はロッキードが圧勝、1976年にロッキードに対して試作機「ハブブルー(HabuBlue)」の開発を指示しました。
この機体はまもなく完成し、早速飛行試験が行われることになりました。この試験飛行が行われた場所は明らかにされておらず、一説には「エリア51」で行われたともいいますが、エリア51の存在自体が不明なためその真偽も不明です。それだけステルス技術は極秘として扱われたということでしょう。実際に時の大統領ハワード・カーターによるステルス爆撃機開発の発表は1980年になってのことでした。なお本機の写真初公開はなんと1988年11月10日のことです。
1号機は降着装置の故障で着陸失敗大破してしまいましたが、2号機によって試験は続けられその結果E-3というAWACS(早期警戒管制機)以外の戦闘機のレーダーでは全く発見できないという結果に終わりました。この2号機も1979年にエンジンから火を噴き墜落大破してしまうことになりますが、その試験データは大変貴重なものでした。

1978年、アメリカ空軍はハブブルーの改良・実用型であるF-117の開発・製造契約をロッキードと結びました。
1981年6月18日に試作型F-117が初飛行し1981年11月18日空中給油、1982年3月22日夜間飛行、7月7日初の兵器投下が行われました。少しさかのぼって1982年1月15日に量産型F-117の1号機が初飛行、同年8月23日にアメリカ空軍へ量産1号機が引き渡されました。

F-117は機体の形状はさることながら、キャノピーを金でコーティングしてレーダー電波のコクピット内への侵入を防いだり、インテーク(ジェットエンジンのための空気を取り込む場所)に金網のようなグリップがかけられてレーダー波がジェットエンジンに当たって反射するのを防止し、赤外線も出来る限り外に出さない工夫がなされています。
赤外線対策としてまず排気口が横1.65m、縦0.1mの細長い形状をしておりかつ排気が下に向かないようにされています。また片方につき11枚のガイドベーンで分割されています。そしてエンジンの圧縮機などを通らずに素通りした外気(コールドジェット)は排気周辺に展開されて、熱い空気を覆い隠すように排出されます。その他エンジンの騒音を小さくして、発見されにくいようにするなど細かな点ではいくらでもその工夫を見出せます。

搭載される電子機器(アビオニクス)の点では、自らレーダー波を出して探知されるようなことがないようにレーダーを搭載せず、専ら赤外線を使っています。搭載される機器は前方赤外線暗視装置(FLIR)・下方監視赤外線装置(DLIR)・レーザー誘導爆弾誘導用のレーザー目標指示装置だけです。ニュースなどで緑色の画面に建造物が鮮明に表示され、それに爆弾が吸い込まれるように落ちていき命中する映像を見たことがあると思いますが、それがFLIRの画像です。
航法装置として初期のものはSPN-GEANS慣性航法装置を使用されていましたが、1991年からハニウェルH-423/Eリング・レーザー・ジャイロ式慣性航法装置に更新されました。さらに現在では全地球測位システム(GPSのことです)が搭載されてより正確な位置の特定が可能となっています。搭載される情報処理用のコンピューターは初期はデルコM362でしたが、現在ではIBM P-102に更新され、航法の処理や自動操縦を備えています。
コクピットにはAN/AVQ-28ヘッドアップディスプレイ(HUD 一画面に様々な情報が表示される、現代機必須の装備です)が搭載されています。

そしてこの特殊な形状は飛行するにはあまりに不安定でパイロットに大きな負担をかけるため、コンピューターでそれを補正して安定させるフライ・バイ・ワイヤシステムが搭載されています。しかし、そのシステムで補正してでさえ、やはり大きな飛行の制約を受けてしまいます。
主翼の最大迎え角(翼に当たる風との角度 AOAとも)は9.5度、最大運用過重5G、機体が耐えられる荷重は6G、実用上昇限度は最大搭載時で約8900m、5分の3に兵装を減らしても約12000mとどうにも制限が多いです。
なお夜間飛行時にはパイロットがあまりの暗闇に平衡感覚を失ってどんな姿勢をしているのか分からなくなった時(間識失調といいます)ために、「パニックボタン」という、押せば自動的に水平飛行にコンピューターがしてくれる便利な装置がついていると言います。夜間作戦が主で単座であるF-117にとっては必須ともいえるでしょう。

さて兵装についてですが、F-117に搭載可能な兵装を列挙すると次のようになります。
・GBU-10/12/16/24A/27レーザー誘導爆弾(ペイブウェー)
・BLU109B低レベルレーザー誘導爆弾(GBU-24A バンカーバスターの一種)
・AGM-65マーヴェリック空対地ミサイル
・AGM-88HARM(High Speed Anti RADAR Missile)対レーダーミサイル
・AGM-158JASSM(Joint Air to Surface Standoff Missile)
・AIM-9赤外線誘導空対空ミサイル(搭載できるだけのこけおどしと思われます)
で、ペイロード(搭載量)は2000ポンド(約900kg)爆弾2発程とされています。この兵装を見ても分かるように、F-117は完全な地上攻撃専用機です。これらはステルスを保つためにウェポンベイの中に入れられて外には全くでず、投下するときだけウェポンベイを開けて投下します。


これまでF-117の特徴やスペックについて長々と書いてまいりましたが、では実際のF-117の戦績はどうなのかです。
初陣はパナマ侵攻作戦で、2機のF-117がリオ・ハトの兵舎群に2000ポンド爆弾を投下しました。
最初の大規模運用となった湾岸戦争ではイラク方面に42機が展開されて任務に就きました。その出撃回数、何と1271ソーティ(=1271回出撃した)。のべ作戦従事時間数6905時間、一機あたりの平均出撃回数29.7ソーティと実に忙しい日々を送っています。肝心の戦果はというと、任務達成率85.8%で総爆弾投下量約2000tとされています。2000tという数字は湾岸戦争で投下された誘導爆弾の4分の1を占めています(といっても誘導爆弾自体まだそれほど普及していませんでしたが)。特筆すべきは初期のイラクの分厚い防空網をかいくぐってバグダッドへピンポイント爆撃を行えたのはF-117だけであることです。この大規模な戦争でF-117は1機たりとも損失を出しませんでした。
そんなF-117が最初に撃墜されたのは1999年ユーゴスラビア空爆の際。この時もまさに無敵を誇っていたF-117でしたが、相手の士気を少しでも挫きこちらの士気を少しでも高揚させるためF-117撃墜のためだけの作戦が開始されました。その撃墜は諸説ありますが、定説としてF-117の爆撃するであろうところ周辺に対空ミサイルなどを多数配置し、F-117が爆撃進路に入ってウェポンベイを開きRCSが一気に増加してレーダーに映るようになった瞬間にSA-3地対空ミサイルが撃墜したというものがあります。現在のところF-117の撃墜はこれだけです。

一説に、F-117のミッションは定められた攻撃時刻に5秒の誤差も許されず、あっても2秒ほどの誤差でなければ失敗とされるそうです。また目標から1mずれただけでも失敗とされるそうです。さらに夜間の長距離爆撃という悪条件が重ねられたのにも関わらずこれらの戦果を残しているのは、F-117の高性能、そしてF-117パイロットの優秀さを表す証拠といえるでしょう。


ちなみに平時はレーダーに映らないと逆に危険なので、レーダー波を反射しまくる板を取り付けて飛行しています。


また攻撃機にもかかわらず戦闘機を表す「F」を冠しているのは情報撹乱のためとされています。

最後にスペックです。
全幅:13.2
全長:20.08m
全高:3.78m
主翼面積:84.8平方メートル(推定)
空虚重量:133,81kg(推定)
最大離陸重量:23,814kg
発動機:ジェネラルエレクトリックF404-GE-1D2(推力4900kg)2基(F/A-18に搭載されているものからアフターバーナーを取り除いたもの)
最大速度:マッハ0.9(約1000km/h強)
離陸速度:306km/h
着陸速度:227km/h
戦闘行動半径:1100km(フル搭載時)
ペイロード:2,268kg
乗員:パイロット1名




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